小豆の民話はこんなにも多かったの?

小豆の民話はこんなにも多かったの?

古くから小豆が食されていたことを物語るのは、福井県鳥浜遺跡から出土した小さな小豆の粒からうかがえます。

縄文時代から食されていたのでしょう。でも、縄文人たちはどのようにして小豆を見つけたのか知りたいです。食の関心から大変気になることです。

このように古くから食されていた小豆を題材にした民話が、各地方にあるのも驚きです。これほどまでに小豆が身近な食材であったとはと、改めて思いました。

日本のあちこちの民話を集めて、小豆が日本人のよき食材であるお話をいたしましょう。

◆各地に出没する小豆洗い

故水木しげる氏の故郷には、ゲゲゲの鬼太郎に登場する、音をたてて川で小豆を洗う妖怪「小豆洗い」のブロンズ像があります。

水木氏の故郷の傍の米子市にも、新山の小豆とぎの民話があり、島根にも、鳥取因幡にも、岡山にも、出没しています。山梨、新潟、秋田、群馬、京都、東京、愛媛、長野、・・・・と各地にも……。そして、呼び名も、小豆とぎ、小豆洗い、砂とき、小豆磨きなど様々です。

この「小豆洗い」の話は、何とも悲しい物語であったり、「小豆洗おか、人とって喰おか」と歌いにつられて人間が川辺に近づいてしまうなどの物騒な話であったり、また、川へ小豆を洗いに出かけ、笑いながら小豆を洗っている背の低い法師姿を見かけることができた娘は早く縁づくといういわれのあるものもあるなど様々な題材になっています。

この「小豆洗い」の音の正体が、イタチの尻尾の音、イタチ鳴き声、狐、狸、カワウソ、竹の葉の擦りあう音、ムジナなどでは、各地で言われています。

が、色々と各地で言われている「小豆洗い」が、川と関わりがあり、小豆を洗うことができることが、このような語りのできる因子となり、妖怪「小豆洗い」の話が生まれたのではないでしょうか。

◆「あずきとぎ」 日本民話の正直者は・・・・とやらのお話のご紹介

ある村の本堂に「あずきとぎ」のお化けがいるというので、ある晩に、村の若い衆が肝試しをしたそうです。

他の若集は途中で帰ったが、兵六だけ本堂に上がり込みました。

「あずきとぎ」のお化けの「ショキショキ、あずきとぎましょか、それとも人を取って食いましょか」の声にも兵六が全く怖がらないので、お化けは大きな巨大なぼた餅を兵六に投げつけました。

兵六はそれをたいらげ、毎晩本堂に出かけ、お化けから投げつけられるぼた餅を食べていましたが、少しずつぼた餅が小さくなっていっています。

兵六は村の若衆に話したところ、若衆も一緒に出かけることとなりました。

兵六が若衆と一緒の晩は、小さなぼた餅ですら落ちてこず、怒って怒鳴った兵六の前には、ナスの漬物が落ちてきました。

「毎度毎度、ぼた餅はないわい。たまにはナスの漬物でも食え。これが本当のもてなすじゃ」と。

これは、「日本昔話」で1976年7月31日に語られたあずきとぎの粗筋です。

◆民話からわかる小豆

娘が病床であずきまんまが食べたいと言ったため、娘の親が庄屋から小豆と米を盗み、娘に食べさせました。娘は病から回復したものの、わらべ歌にのせてこの娘が”あずきまんまを食べた”と歌ったことにより、娘の親は死罪になるという哀れな話もあります。

 

以上の民話からもうかがえる小豆の効能は、いにしえの人々は食から学び得ていたといえるのではないでしょうか。

赤い小豆は、邪気を払うといういわれも大陸から伝わり、非常に大切な食べ物であったことが窺えます。

また、小豆の成分で最も多いのはデンプンで5割強を占めています。

当初は、砂糖などなく塩味のぼた餅・あんこであり、今のあんこの味には及ばなくとも、小豆のデンプンに熱と少々の塩による大変に美味しい食べ物で、尊ばれていたと言っても過言ではないでしょう。

いにしえの人々に尊ばれていたあんこには、ますます注目していきたいと思います。